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「10年か。ばかにできん歳月だわな、ユートよ」
 ばかにしたようにドラドさんは言った。泰然と笑みをうかべたまま、オールバックにした長い髪をひるがえし、倒したモンストラムから刃をひき抜きながら。
 平原に風が吹く……。
 一面に広がる草たちがざわめくように揺れる。屍骸たちを除けばのどかだった風景が、おかげで一瞬、ひどく騒がしく映った。
 10年の歳月。
 正直なところ、ぼくにその重みはわからない。10年まえのきょうといったら、生産されてからまだ3年。このぼく、ユートこと、正式名称『八生雄途もろうゆうと』の正規記憶が開始される以前に、この戦争は始まった。
 だからぼくは答えずにあいまいに笑って、手にしたケインへ視線を落とす。ぼくの略式を成立させる武器。ドラドさんの長剣に刺し貫かれるのも、ぼくの略式術理で灼かれるのも、モンストラムにとっては等しく死だ。ぼくにもその番はまわってくる──おそらく、そう遠くないうち。ぴんとこない話ではあるけれど。
 視線をあげてみる。結成されたばかりであるぼくら6人の受けもったこの戦場、みなごろしの平原は、その物騒な名称と裏腹、見渡すかぎり青々とそして茫洋と、生命らしきものが生いしげっている辺境の土地だ。だが開戦からこっち、この大地は確実に痩せ涸れてきているらしい。この足許を見たところ、そういう気配は感じられないが。ぼくが死ぬ番がやってくることとおなじぐらい、死にゆく世界のことも実感できない。
「1日も10年も変わりはしないよ」
 ──われわれはみんな『生きそこない』なんだから。
 ルタくんのつぶやきが、そよいでいた風をかきまわす。見やると、早くもモンストラムの骸の甲羅に寝そべって昼寝を決めこんでいた。というか、寝言かな?
「寝言は寝て言えやコラ」
 そう言ったエリシュの声がいらついた調子だったので『たんに、ほんとに寝てるんじゃないのかなあ』とつっこみたくなったのをぐっとこらえる。話のつづきも気になったし。
「生きるのなんて息してればできるこった。問題なのはうまく死ねるかどうかだ。正確にいうなら死にどころを心得るってのか。『こっから先いつ死んでも本望な瞬間』ってものが人生にはあんだよ。肉体より先に魂が『死ぬことのできる瞬間』こいつを求める作業が生きるってことだ」
 エリシュが短く刈りこんだ頭をがりがりと掻くようにしながら切々と語るものの、ルタくんは反応する気配がない。かわりに、
「ふん、死ぬということばを、ずいぶん前向きなふうに使いよってからに」
 そんなことを言ったのはドラドさん。意外だった。あのひともルタくんに対してなにを言うのかと思いきや、むしろエリシュのことばに興味を抱くとは。
「死を甘く見たものは痛いめを見ることになろうよ。皮肉にも、生きとるうちに」
 痛み──ぼくらにとっては、それこそ皮肉に響くことばだ。
「なめちゃいねえって。おれだってだれだって、死ぬのは怖えよ。怖くねえって言ってるやつだって、そんなのは言ってるだけのもんだ。死ぬのが恐ろしいってのは血管を血が流れるぐらいあたりまえの、身体がそなえた機能だろうがよ」
「ふむん……アーヴァはどうした? かのじょが聴いとれば、なんと答えるやら」
「アーヴァあ? 強がりしか口にしない女のことなんざ、いまはどうでもいいんだよ。やれやれ、ひとりでどこ行ってやがるんだか」
 けれどそう言ったきりエリシュはおし黙った。いくらドラドさんに反駁しようと、かんじんのルタくんが返事をしないでは議論もむなしい。ほんとうに寝てしまっているのか。
「さっきエリシュは人生ってことを言ったけど──」
 ルタくんだ。起きてたみたい。
「そもそもわたしたちのは『人生』じゃない。わたしたちは人間のまねをしているだけの兵隊だ。文化を伝える対象を喪った文明が、さみしさのあまり生みだした文化享受装置にすぎない」
 長すぎる前髪の下に伏せていたまぶたを半分だけ起こして、ルタくんはけだるそうに、しかししっかりした口調でそう言った。
 そういうことらしいな、とぼくも思う。ぼくら兵たちを規定する限界点。
 兵。産まれて殺して食べて眠り、そして滅びるのが仕事の生体ロボット。
 ほんとうにそうならば、だけれど……。
 うん、ぼくはその話について懐疑的でいる。でも、どこについて疑っているんだろうか。
 ぼくたちが『兵』であることを? それともかつて『人間』なんてものがいたことをかな? その両方かもしれない。
 考えて答えの出る問題ではないし、出す意味すらない。だからぼくはなにも言わないまま、手のひらの上でケインをもてあそぶ。
あー!! けんか!? ねえ、けんか!?
 うるさっ!
 思わずケインをとり落としそうになったぼくをよそに、キサナちゃんは目をきらきらさせながら駆けてくる。
 ぼくよりさらに年下の女の子が、なぜこうもけんか大好きなのか。いくら近接格闘兵グラップル・フォームだからといって、血の気が多すぎるような。
 ぼくはなだめるようにキサナちゃんの団子結びの頭をぽんぽんとなでて、
「悪いけどけんかはしてないよ。それよりアーヴァを知らない? 独走してモンストラム追っててはぐれたかな?」
「おてあらい」
 なんとなく沈黙がおりる。つぎに口を開いたのは、またもドラドさんだった。
「10年間か……こっけいなことだ。われわれ兵たちがおらねば、殺すべき『敵』も存在意義を喪失して消滅するというのに」
 ドラドさんはそう言って長剣を横なぎにふるい、背後から襲いきた新たなモンストラムを、ふりむきざま両断する。
 モンストラムたちは兵がいない環境には発生しない。それが世界の掟、この現実の正体だとされる。大地を食いつぶしながらぼくらと敵は相殺しあう。敵の目的はぼくらを滅ぼすことであり、ぼくらの望みは滅ぼされないことであるのだ。その戦いが、確実に、世界そのものの寿命をどんどん縮めている、って話。
 そういうふうに聞かされている。ぼくらは生まれるだけで罪深い。生きのびようと考えるだけで世界に対して罪深いと。
 それが事実だとしても、偽りだとしても、どちらにせよ理不尽な話だ。ぼくらのせいじゃない、ぼくらだって頼んで生まれたわけじゃない。そんなふうにくいさがって生きていくかいのある物語。
 ともかくとして、ドラドさんが襲われたことで、ぼくは再度警戒のため周囲を見渡していた。一見して見通しのいい平原だけれど、草の下にある地面は部分的に起伏に富んでいる。隠れて接近するのもそう困難なことじゃなかった。
「このあたりにまだ敵が残ってるんだね」
「残ってるだけならいいな。こう数が多いってこた、近場に源泉体がいるのかもしんねえ」
 エリシュが示唆したのは、モンストラムの生成源ジェネレーターとなるさらに強力な敵の存在する可能性。
 こんな冒険のはじまりみたいな平原に、いきなり出てくるものなのか。掟破りもいいとこだ。
「ユート、かまえておれい」
 ドラドさんのことばに、ぼくはこくりとうなずく。源泉体がいるというなら、ぼくスクラッチの力がなくてはどうにもならない。というより、創世兵スクラッチ・ビルダーの存在意義はむしろ通常戦闘においては希薄で、ふだんあまり役に立てていないのだけれど。
 周囲が不自然に静まりかえる。
 もういちどだけ、風が吹く。
 吹いて、止まった。
 ぼくの目が、風をせき止めた存在を視認する。
 ひとつ、ふたつ、みっつ……よっつ。
 黒い衣装を身に着けた、4人の兵──いや、兵型モンストラムだ。姿かたちこそぼくらと同様、かつて人間と呼ばれた生命体を模してはいるが、ことばは解さない。あるいはやつらだけの言語を持っているのかもしれないけれど。
 槍を手にした優美なキモノ姿の長身の女性型、両手に小刀をたずさえた軽装の少女型、背中に翅をそなえた小柄な半妖精型、そして、素手のはずなのに、ほかの3人よりすさまじい存在感を放つ女性型。
 半妖精型が手にしていたモンストラムの『タネ』となるガラクタを周囲にばらまき、号令みたいに手をかざした。つぎつぎと、小型中型のモンストラムが生成されていった。狗型、水牛型、鳥型に飛行魚型。半人半獣で道具を手にしているものもいる。
 はてさて。
 勝てる相手なのかな、これは。


   EDEN AID


 まあ……やってみるよりない。
 やられたところで、死ぬまでのことだし。
 ぼくは意を決すると、左手でかまえたケインに右手の指先を添え、略式処理をほどこしていく。悠久のときを経て圧縮されつづけてきた物質をほどき、おまえは本来ちがう姿をしていた、そのことを思いだせと吹きこむ。世界をだますことが術理の基本。
 時間が止まったように静まりかえる。風がやんだからではない、擬似創世スクラッチ・ビルドが完了したのだ。見かけこそもとの平原のままだが、いまやこの一帯はぼくらのためにカスタマイズされた戦場と化した。略式使いの術理性能はフルに発揮され、前衛の行動力も飛躍的に向上する。そしてなにより、領域内の源泉体は新たにモンストラムを喚びだすことが不可能となる。
 ルタくんが寝そべっていた甲羅から身を起こし、戦場処理によって使用可能になった略式をすばやく組みあげる。ねむたげな表情のままでいるヒトダマ使いウィスプ・ウィスパラーの頭上に、みっつの火球が出現する。
 ヒトダマは下位の略式生命、兵にも使役可能なモンストラム。意思をもった炎の球だ。それが3体、空中に浮かんでいる。
 つぎの瞬間、火球たちは敵めがけて弾丸と化し向かっていった。その動きにまぎれるようにして、キサナちゃんとドラドさんが疾走していく。
 モンストラムたちは迎撃の態勢に入ろうとしていたが、それでは遅すぎた。速攻を旨とするうちの前衛組に対してのんきとすら呼べるそのタイムラグは致命的だ。
 ヒトダマたちが火の舌を伸ばし、つぎつぎとモンストラムを灼き殺していく。防御の陣を敷くいとますら与えない。キサナちゃんはヒトダマがとりこぼした何体かの狗型を鉄拳でたたきのめし、無力化していった。狙いは4人の兵型のみ。あとは余禄か、障害物だ。
 エリシュはいつでも修復処理をかけられるよう、先行略式を入力中。この行動の欠点は無防備になることで、それを護るミドル・ポジションが現在の小隊には不足している。
「アーヴァのトイレ、ちょっと長すぎねえか」
 それとも、すでにやられたのだろうか? すくなくともエリシュのひとことには、そういう疑念がこめられているだろう。
 ヒトダマは炎の舌をちろっと飛びださせながら、黒衣の女たちの周囲をめぐり、牽制の動きをとる。相手に反応らしい反応がないのを見るや、火球のひとつが長身の女めがけて突進していった。
 そいつは槍をかかげるようにかまえ、動作に入るように思えた。
 閃光が見えたような気がした。
 火球はじぶんが両断されたことすら気づかぬまま爆散し、その火の粉にまぎれて敵4人は静から動へと転じる。転じたのだろう。ぼくには認識できなかった。

 3秒にも満たない地獄がはじまり、終わる。

 まずキサナちゃんはなくなった両腕をきょとんと見つめているスキに、二刀流の女に蹴りあげられ、天高く舞った。
 槍の女へ突きかかったドラドさんの動きに迷いめいたものはひとつもなく、そのスピードも神業クラスといってよかったが、ありえないことが起きた。突きかかっていった切っ先をかちりと受けとめた槍の穂先が、そのまま長剣をふたつに裂き割って、そのままドラドさんの右半身まで斬りひらいた。
 キサナちゃん本人とその斬りとばされた腕が、ほぼ同時にどさりどさりと地面に落ちる。ドラドさんも盛大に血をしぶかせながら、どうと地に伏した。
「なにやってんだよこらあーっ」
 そう叫んでエリシュが即時発動させた修復略式がふたりへ飛ぶ。が、それが届くことはなかった。
 素手の女が、
 伸びゆく略式を、
 手づかみにした。
 じぶんでもなにを語っているのかよくわかっていない。視えはするが触れることはできない力の流れそのものを、その女は無造作にひっつかんだのだ。
 のどにおかしなものがひっかかった。
 それが笑いだということに、一瞬気づくことができない。
 絶望と呼ぶのもおこがましい事態がそこにはあった。
 女たちの周囲に、新たにモンストラムが出現していく。残っていたヒトダマが物量によって蹂躙され、爆ぜ消えた。
総創世兵フル・スクラッチ・ビルダー……」
 ぼくの擬似創世をキャンセルしたってことだ。だまされた世界をくつがえせるのは、ほんとうに世界をつくりだせる超越存在、神さまのレプリカであるモンストラム……総創世兵型だけ。全世界でも指の数ほどしかいないであろう破格のやつが、なぜみなごろしの平原なんて僻地に。
 4人のうちのだれがそうなのか。ことによると、全員がそうなのだろうか?
 こちらの驚愕をよそに、妖精型が地面からわずかに身を浮かせ、数瞬かけて行っていたのだろう精神集中を終了させる。
 放たれた光の矢印が無機質に、しかし鮮やかに分裂しながら猛然たる速度で迫り、ぼくとルタくんとエリシュは回避運動に移ることもできないまま、地面に縫いとめられた。
「っが……!」
 鎖骨と肋骨のあいだを貫いて、矢印の先端部はおそらく地面の下、かなり深くまでがっちりと固定されている。実体よりも強硬な圧力によってぼくらは完全に動作を封じられてしまった。
 痛みはあるが、そう感覚しているだけだ。ぼくら兵は戦闘時になると苦痛を極力遮断するよう、訓練と調整をほどこされている。肉体がよこすただの危険信号などによって、判断力を鈍らせてはいられないからだ。
 だからこの状況でぼくと、たぶんルタくんも、考えていることはひとつだった。

 ──どうやって、この状況を脱するか。

 ちなみにエリシュの考えはおそらくちがっている。乱暴な口調とうらはらに、かれの関心事はひとつ。仲間を死なせないことにしかない。そのために修復略式を修めたのだから。
 だが、その式も届かなかった。あんな深刻なダメージを負っていては、ドラドさんもキサナちゃんもそう遠くないうちに死ぬ。めぐる血がなくなれば、本物の人間がそうであったと伝え聞くよう、ぼくら兵も活動を停止する。
 生きかえりはしない。ただ不可逆的に大地に還るまでのことだった。
 死ぬ。
 遠くないうちに、だれもが。
 上等じゃないか。
 ぼくは左手でケインを強く握りしめ、右肩を固定されうつぶせに封じられた身体をねじった。右手を略式処理のために強引に動かす。筋肉がちぎれる音が響くのを体内に感じながら、それでもぼくの右手人さし指と中指が、なんとかケインをなぞる。かつてない集中力で、短い略式処理をふたつ、完了させた。さっそく、ひとつめを起動させる。
 ぼくの肩骨がはじけとぶ。
 あの妖精型がくり出してきた光の矢印が総創世でつくられているものなら、その下位になるぼくの創世ではどうにもならない。であれば、縫いつけられている肉体のほうを破壊して脱するしかない。そして──
「くあああああーっ!」
 脱出に成功したぼくの破壊された右肩で、ふたつめの式が時限起動した。限定創世だ。このまま右腕が使えない状態では、略式を起動することはできないからだ。治癒や修復は不可能だけど、筋肉の機能を文字どおり肩代わりする力の流れを一時的につくりだすことぐらいはできる。止血効果も兼ねているのだけど、こちらはそう期待できるほど効果はあがらないと思う。
 つまり、意識を喪うまでの数秒間でなんとかしなくてはならない。
 なんとかしなくては……ならないのだけど……。
 早くも朦朧としはじめた視界のなか、槍の女が笑ったように見えた。
 こころなしかそれは、あざけりの笑みではなく、小気味の好いものを目にしたという称揚の笑顔に感じられ、
 敵の表情に勇気づけられて、ぼくの右手がケインの側面を走る。
 ぼくが習得している略式は、ルーキーの哀しさ、そう多いものじゃない。しかし敵はぼくを知っているわけではなく、ぼくのわずかな選択肢すら把握していない。だとすれば──どちらにせよ、ひとつの戦闘局面で使える戦法などたかが知れている。有効な戦いかたは必ずあるはずだ。
 4人の敵のなかでもっともすばやいひとり、素手の女が身をかがめてこちらへ疾駆してきている。身体能力の低いぼくは抵抗のための時間すらなく、なすすべもないまま倒されるだろう。
 さて、ぼくの選択肢のなかで、もっともこの局面にふさわしいものはひとつ。
 その入力起動が成功し、世界の動きが止まった。いや、正確には視界はぬるうりと動いている。かぎりなく止まった状態に近いほど緩慢になっただけだ。
 時間感覚を創世し、数瞬のあいだだけ主観知覚を高めた。
 といってもこれで身体の動作速度が速まるわけではなく、眼球すらもふだんどおりに動かすことしかできない。つまり、できることは考えることだけだ。なんとかこの時間のあいだに周囲の状況を把握し、対応策を獲得し、死にものぐるいで素手の女の攻撃を避け、そして仲間に策を伝えなければならない。
 目のくらむようなハードルの数だ。あまりに細く儚い希望でしかないが、ここに懸けるしかない。
 だが敵はその希望を予測よりはるかに早く破壊した。
 素手の女は想定以上のスピードでぼくの眼前まで迫っていたので、その表情をぼくは克明に視認できている。そしてかのじょは、ぼくの知覚が高まったことを瞬時に認識して顔色を変え、緩慢ではあるが異様なスピードで手を伸ばしてきた。ことによると、この女はぼくが略式を使用してやっと獲得できるのと同格の時間感覚で、常時行動しているのか。
 考えるための主観時間も混乱に費やし、そのままふたたびぼくは地面におさえつけられた。
 そして、なにかの略式がすさまじい勢いで身体に流れこんできた。


   EDEN AID


 つぎの瞬間起こったことは、ぼくにもうまく説明できない。
 まずは遮断できる範囲をはるかに超えた激痛。想像を絶する、という形容はめったに使えるものじゃないけど、この苦痛はまさにそう呼ぶしかないようなものだった。だが、もっと驚くべきことが起こる。
「それが痛みなり、人間よ」
 悲鳴をあげていたぼくに、素手の女は語りかけてきたのだ。
「痛みを忘れることなかれ、人間。汝を生ける存在たらしめるのは痛みのみ」
 そして略式が全身にいきわたったところで、苦痛もひとまずおさまった。しかしそれどころではない。当惑のあまりぼくはなにをどう応えたらいいものかわからなくなっていた。抵抗すればいいのか、それとも。
「ここのことを、おまえらは『みなごろしの平原』って呼んでるらしいな」
 槍の女もぼくに認識できることばで口をきいた。
「なぜそう呼ばれてるのか、知ってるか?」
 どういうことなのか。兵型モンストラムとは決してコミュニケーションをとれないはずだった。では、いまここで起こっている事態はいったいなんなのか。
 さきほどの思考がぼくの脳裏をよぎる。
 そうだ、ぼくは人間の存在と、ぼくら兵の存在について違和感と疑念を抱いていた。もちろんすべてが偽りというわけではないだろうけれど、伝達するときになんらかの意志が介在すれば、ものごとは際限なくねじ曲がる。
「あ……んたたちは、知っているのか」
 ぼくが息も絶えだえにそれだけを口にすると、槍の女はうなずいた。
「かつてこの地で、ひともモンストラムもみんななぎはらってしまった男がいた。名前も忘れられちまったやつだ。おまえたちが『戦争』って呼ぶいまの世のなかになる、ずっとまえの話さ。時間の概念も役に立たないぐらい、むかしの」
 そばにやってきていた妖精型が、さびしげな笑みをたたえてその話を聞いていた。そして手を挙げると、新しい光の矢印をかたちづくり、宙に放つ。
 碧に輝く矢印がふたたび四方八方に分かれ、ぼくに、そしてほかの仲間たちにも突き刺さった。だが、こんどは苦痛ではなくあたたかさがぼくらを包み、見れば、ふきとんだ肩がみるみる癒えていく。
「あなたのお仲間さんには悪いんですが、さっきの略式は未熟すぎて、もとどおりに回復する可能性がなくなってしまいますから」
 二刀を手にしていた小柄な少女は、エリシュが聞いたら気を悪くするであろうことを言った。それでもう、ぼくにはかのじょたちをモンストラムと呼ぶ気もおこらなくなってしまった。だからといって、ぼくよりはあきらかに年上なこのひとを少女呼ばわりするのも違和感の残ることではあるのだけれど。
「赦してくださいね。けがも負わないように手かげんして倒す方法がなかったんです。これしかやりかたを知らなくて」
 どっちみち、ぼくらにしてみれば不名誉な話だ。
「おい、そいつらはなにをしゃべってるんだ」
 身体の自由をとりもどしたエリシュが、当然の疑問を口にした。どうやら略式を流しこまれたぼくにしか、意味のあることばとして聴こえていないらしい。
 ただ、聴こえているぼくにとってもあまり変わらない。ぼくは疑問を視線にのせて、4人を見やった。なにを言おうとして、わざわざここに現れ、ぼくたちを圧倒したのか。
 槍の女が言う。
「おれたちはフル・スクラッチ、そしてモンストラム側の人間として、おまえらのだれかに真実を伝えにきたまでだ」
 真実。
 なるほど、とぼくは思う。
「その真実っていうのはつまり、いまあなたが言ったことに含まれているとおりのこと? ぼくたちは兵なんかじゃなく人間で、モンストラムと呼ばれている連中と相容れないなんてのはうそっぱちだって」
「ああ」
 なんてことのない真実だ。ぼくが思うぐらいのことなんだから、だれもが思うことでもある。
 けれど、そう仮想されることと、現実にそうだと判明することは、まったくちがう。ただ、いちばん重要なことがある。
「その真実で、戦争は終わる?」
「終わらないさ。おれたちが始めた戦いじゃない。もっと大きな意図のもとに始まった戦いで、そのあいだにいろんなことが起きた。いちど動いた世界は、だれかがなにかを知ったぐらいで、かんたんに収拾のつくものじゃない。だれでもいい、ただ知っておいてほしかった。それだけだ」
「そう──」
 ぼくはちょっとうつむいて、くすりと笑った。
「教えてくれて、ありがとう」
 槍の女はどういたしましてとも言わず、ただ肩をすくめた。そして、ぼくがつぎに言うこともわかっているようだった。
「じゃあ、つづけよう」
 ぼくが言ったと同時、かのじょがとびのく寸前に、ぼくはケインに指を走らせ略式を起動させることに成功した。
「く!」
 手にした槍がわずかに重く再構成されたのを感じとったことだろう。これでさっきのとおりの動きはできない。
「アーヴァっ」
うはいっ!!
 ぼくが合図したと同時に、戻ってきてからずっと伏せてチャンスをうかがっていたアーヴァが、まったくの死角から素手の女めがけて襲いかかった。
 そう、ここの地形は見た目より起伏に富んでいて、隠れるところに困らない。そしてさきほどぼくが知覚を高めたとき、襲いかかってきた素手の女の肩越しに、なんとかスキを見つけようと歯ぎしりしながら伏せつづけていたアーヴァの姿を見てとった。ぼくはなんとか、それだけのことはできたのだった。
「!?」
 素手の女はこちらにしか注意を向けていなかった。いかに知覚能力がとぎすまされていても、方向性を限定されれば、その埒外から加えられる攻撃には対処が遅れる。そしてドラドさんは刺突にすぐれた閃撃兵フェンサーだが、アーヴァは大剣と大盾を使いこなす攻防兵ストラグルだ。反応速度がいかに速いといえど、その反撃は盾に阻まれる。
「だああああああああああっ!」
 空色の髪をふりみだし、アーヴァは素手の女に一撃をくわえた。即座にひきさがったものの、手傷を負わせることができた。
 この4人のなかで最強の使い手はあの女であるはずだ。そしてぼくの創世はまだ効力を完全に喪っているわけではない。上位効果をもつとはいえ総創世も万能の力ではないし、あの妖精型とてそう強力な略式をいくつもたてつづけに使えはしない。ぼくらの傷を癒すのにも、かなり力を使っているはず。
 槍の女は舌打ちし、苦々しく告げる。
「……おれがおまえの立場でも、そうしたろう」
 そうだ。いちど動いた世界では、いろんなことが起こる。怒りも哀しみも痛みも悔しさもあとかたなく水に流せれば、それはすばらしい世界なのかもわからない。ちがうのかもしれない。ただ、どっちみち、そんなことはありえない。
 ぼくらが人間だとすれば、
 ぼくらが人間であるかぎり。
 ぼくはかのじょたち4人を睨めつける。ぼくだけじゃなく、剣を喪っても不敵さをなくさないドラドさんも、とりもどした腕で空を試し殴りするキサナちゃんも、新たなヒトダマをつくりだしていくルタくんも、みんなを助けることだけをひたすら考えつづけているエリシュも、そして、
「ちょっとねえ! なにがなんだかまったく知らないけど、くるなら容赦ゼロだからっ!!」
 われらのリーダー、あきらめないってことをぼくに教えてくれた強がりの王者、アーヴァもつるぎの切っ先をかざす。

「おまえら完璧」
 さきほどとはちがい、槍の女は痛快そうにくっくっくと笑う。そして、
「これ以上戦うとめんどうな展開になりそうだ。伝えることは伝えたし、ひきあげるぜ」
 告げたと同時、妖精型がまばゆい閃光であたりをくらまし、そして視覚が復活したときにはどこにも敵の姿はなくなっていた。
「あああ逃げられたあああああ!! うがああああううう」
 キサナちゃんが地団駄を踏む。心の底から真実そう思っているだろうあたり、ほんとうに頼もしく思う。ぼくの仲間はベストメンバーだ。まだまだこれから強くなっていく。際限なく。
「アーヴァ……」
「ん?」
 剣を背中の大鞘に収めたアーヴァに、ぼくはちょっと考えて、言った。
「くわしい話は、あとで必ずするよ」
「説明できることなら、よろしくおねがい」
 アーヴァのくったくない笑顔に、そうだなあ、と思う。
 なにからどう語ったらいいか、そこから考える必要がありそうだった。