「しばらくぶりだな、みなの衆」
だれにともなく呟きながら──
気配を感じて、動きを止める。
(気配、か)
ニコは緑のフードの下、分厚い白髭の下でもなお目立つ口角をつりあげる。
気配。だれもかれもが、人体に第六の知られざる受容器が存在するなどというオカルトじみた話を信じているわけではあるまい。
にもかかわらず、第六感の実在を疑うものはそうはいない。
かれらは理解しているのだ。第六感とはすなわち経験や天性で得られる『五感の統合性』であり、より高いグレードで肉体を掌握している生物のそなえた特性だということを。
というわけで部屋に足を踏み入れた瞬間、ニコは首筋にほの寒い違和感をおぼえた。経験からくる直感だ。ゆっくりと確認するように爪先を置き、
左右から風を切る音とともに襲ってきたのがなにかを認識するまえに、回避を兼ねて逆立ちの要領で迎撃する。
視界のなかでさまざまな情景が踊る。真夜中の闇に溶けかかったそれら、小学校の時間割、家族写真、家族写真、談笑する上級生の隠し撮りめいたスナップ写真、家族写真、ぬいぐるみ、勉強机、壁掛け時計、ぬいぐるみ、離れた位置にぬいぐるみが2個? なるほどこれが罠の隠し場所か、左右から襲いかかってくる、ぬいぐるみの背後に隠されていたなにか、
「ほう、これは」
両足がみごと蹴り落としたのは、ワイヤーネットのトラップの先端部分だった。
ニコはじぶんが罠にかけられたことを悟っても、後退の選択肢は論外とばかりに、まったく泰然と前進していく。
それなりに巧妙とはいえ、しょせん人間のつくる精度の罠だ。やつらの1/10のスケールの肉体しかもたないニコに通用はしない。
と思いながらかわした先で、さらに罠が作動した。棒が跳ねあがって篭をかたちづくり、それを回避すると霧吹きが作動してなにか吸いたくない匂いの液体が散布される。息を止めることに気をとられて飛びのくと、その着地先にある床が粘着質になっている始末。どこからこんなもの用意したんだ、と思いながら、
「コぉメッツ!!」
ヒトダマに命令する。かれに影となり附き従う9の火球、そのひとつひとつが忠実なしもべだ。
シュヴォッ、と刺すように鋭い燃焼音が響く。『コメット』は一瞬で高温に変化し、ニコの足がつくまえに粘着剤を灰に変えてしまった。ぼふっ、と灰を蹴りながら、目的地へはあとわずか。
「ひゅうっ」
まさかヒトダマまで使わされるとは思わなかった。四段がまえの罠をすべて越え、安全圏らしき位置に着地すると、そこにとどめが待っていた。
ニコが立っていたのは『人間』のベッドの枕許であり、眠っているはずのそいつが、
「さすがあ」
ぱっちりと目を醒ましていた。その少女の目は、夜闇に鋭い光をたたえて正面からニコを待ちうけていた。
「……おいおい……」
平静を装い、ニコはかぶりをふった。
この罠をしかけた存在がなにものか、考えないようにしていたが、まちがいない。
部屋の主みずからがやったことだ。ただの子どもがしたことだ。
ニコは皮肉たっぷりに言ってやる。
「教わらなかったのか? よい子は寝る時間なんんーだがなあ、少女」
「教わらなかった」
教わったのはこんな悪辣な罠の数々だけか。くそがきが。くそ家族が。くそ世界が。いや、わかってる、こんなのは八つ当たりだ。
屈辱──いつぶりだ、姿を見られてしまったのは。
ふてくされてどっかりと坐りこんだニコに、
「教えてもらえないことは、おまえが教えてくれればいいよ」
ベッドからゆっくり身を起こし、少女はにまにま笑いかけてきた。
「配ってまわる、それがおまえの仕事なんじゃないの?」
おまえ呼ばわりかよ。とニコは不満を表明するかわり、
「……教え、なかったら?」
とだけ言った。
少女は邪悪に笑い、細い指でニコの肩に触れ、
「きょうがおまえの墓場だ、サンタクロース。てか、めりくりー」
教えなきゃならないことが多すぎるっぽかった。
たしかに子どもはどちらかというと『かれら』を見ることができる確率が高い。それはべつに純真だの純粋だの純潔だのと関係はなく、ひとえに感覚の全体構造が発達していないがゆえ。不安定さもあって、かえって感覚の統合される頻度がすこし多く、件の第六感が働きやすいというだけのこと。
しかしどちらにせよ、それはあくまで一瞬のひらめきにすぎない。目をそらせばまず『かれら』の姿がふたたび目に入ることはなく、そのまま気のせいと処理して忘れ去る。
ところがいまニコの眼前にいるこの少女は、ありえないほど集中してニコをガン見である。
「少女ぉ、てめえはあ……いったいなにものだ?」
「ちさか。少女でもてめえでもない。ただの『ちさか』。こざかしいと書いてちさか」
「そうか、少女、じゃーあ言うがな。おれもサンタクロースじゃねえ、た・だ・の・たいりくびとだ。名前はニコ、レギオンでのクラスはウィスプウィスパラー。てめえら人間にとっちゃ、ただの正体不明さ」
「でもおまえはもともと人間だろう、ニコラスさん」
「──っ」
絶句したニコのそばで、両手を組んで前方に「んーっ」と伸びをする『ちさか』が、仔猫のように身を震わせる。
「……なんでそんなこと知ってんだ、少女」
「ちさか、おまえたちのことちょっとは知ってるんだ、おまえのお仲間と縁があってね。いままで忘れてたけど、おまえ見たらぜんぶ思いだした」
「どこのどいつだ、その迷惑なおしゃべりは」
「秘密。で、そいつの話によると、もと聖人のおまえの魂は死んでも大気に溶けきらず、たいりくびとになってサンタのものまねをしてるとか」
「ものまねじゃねーっ!」
ニコは憤然と立ちあがり、9のしもべのひとつにささやきかける(。プランサーが起動され、格納していたなにかを空中に放出し、ふたたび休眠。ちさかは反射的にそのなにかをキャッチする。
「……箱だあ」
「開けてみろっ」
ふたたび坐るときも憤然と、ニコは髭を震わせながらぶっきらぼうに言い放つ。
「いまのてめえに必要なもんが入ってる、さっさとしろ少女」
「うそえいとおーおーですか?」
「なに言ってんだかわかんねーよクズ」
「クズでも少女でもてめえでもないもん、ちさかだもん」
ぶつぶつと言いながら、丹念にリボンをほどいていく。
ゆっくりと包み紙を解き、うわぶたを持ちあげる手が、ふっと止まる。
「さっきの逆襲で、びっくり箱とかだったらやだぞ」
「さっきの逆襲なら玉手箱か高圧電線ぐらいが妥当だろうが。いちいち恨んでるヒマなんかねーくらい忙しいんだよこちとら、心配せんでとっとと開けろ少女」
ごくり、とつばを飲み、ちさかは意を決するや、無造作にふたを取り去った。
「あ」
「どうだ、少女」
──名前なんぞいちいち呼んでられないんだ、ちさか。
ちさかはクズでしかなく少女でしかなくてめえでしかない。唯一無二のだれでもないユニークネスなんざ、認められようがない。視止められるはずもない。観留められることなどありはしない。なぜならそれは、
「……あ……」
見つけることができたとしても、あまりにはかない一瞬だからだ。
このニコの存在とおなじように。
ことばにするにはあまりに不確かな、かすかな瞬間のできごとなのだ。だから、見つけたところで──
すぐに、忘れる。
「あばよ」
ニコは、ちさかが箱のなかのなにかを凝視しているスキに、部屋を出る。
もうあいつは、ニコのことなど忘れているだろう。いくらだれに話を聞いていたとしても、直接会った経験などは消滅していることだろう。なぜなら、なぜなら箱の中には、
9のヒトダマのひとつ、ルドルフの紅蓮の灯火が明滅している。
その輝きが、ちさかの身に起こった今夜のすべてを大気に溶かしていくからだ。
記憶を消去されていくちさかの姿を見届けすらせず、ニコは窓を透過して脱出するまぎわ、もういちどだけ、背中でつぶやく。
「あばよ」
目覚ましに反応して身をよじった瞬間、こめかみにヒットする角っぽいものがあった。枕許になにか障害物があるのだ。ちさかはゆっくり目を開く。
「んー」
小さなプレゼントの箱だ。
「しまった」
今年もやられたぞ。
煙突に入れるようなサイズの相手を想定して、父親の趣味のDIY(セットを失敬し、独自に開発したトラップの数々。
準備万端、今回こそサンタを捕獲できると思っていたのにまた寝てしまった。今年も眠りこけた。なぜなのか。こんなじぶんが許せない。などという思いがいっぺんに渦巻いたら睡魔が襲ってきたが、
「……まあいいか。あれ? 開いてる……」
眠い頭を強引にたたき起こし、おそるおそる、開封ずみの箱をのぞきこんだ。
小賢(ー? 起きたかー、わたしは朝稽古があるからな、先に出るぞ?
おまえきょう、終業式のあとは直で先輩の試合なんだろう、準備はいいのか?
……たしかにそうだなフラム。ほっといても起きるか……肝心なときにはしっかりしてるやつだ……起きてるべきときは起きてるからな……寝すごしたりするようなやつじゃないか。
そんな姉の声を遠くに聴きながら、ちさかは思う。
箱の奥に眠っているのが希望だなんてのはうそっぱちだ。
いや、ほんとうだとしても、その希望とやらは迷惑にかぎりなく似ている。
プレゼントは。
プレゼントは、先輩の欲しがっていたナイキのジュニアモデル。あれほど店内をうろうろ迷ったあげく、レジまで持っていく勇気の出なかった、まっさらのシューズ。
「ぅぁ……よけーなことするなよぉ……!」
ぐしっ、と顔をぬぐう。
「プレゼントするためのプレゼントってなんだ? たらいまわしか? 反則だろ……」
だれにごちゃごちゃ文句を言っているのか、じぶんでもわかっていないまま、
ちさかはゆっくりと念入りに、可能なかぎり見栄えよく、再梱包を開始した。なにせ相手はあの先輩だ。たくさん配るうちのひとり、ただの『少年』『少女』などではない。
「ケタがちがうんだよばかやろう! ばーか!」
そしてちさかは確信する。
たしかにあいつは、サンタではない。
スポンサーのために服の色を変えるような、気のいいじいさまではなかった。
(……あれ?)
あいつって、だれのこと?
思いながら呆然と床に降り立つ。
ぼふぁっ。
「うぎゃあー!?」
足が灰まみれになった。ここにはじぶんの用意した粘着床があったはずなのだが──というか、罠がすべて作動しているんだが。
念には念を入れて準備しておいたものだ。まさかひっかかって、そのままにしていくとは思ってもみなかった。
「……サービスの悪いサンタだ、まったく。ていうか、怒られる……」
「サンタじゃねえって言ったろうによ」
ニコはプライドの傷ついた顔で、頭を抱えるちさかを窓の外から観ていた。かれを空中に保持しているのはキューピッドとドンダー、そしてブリッツェンだ。
「まあったく、どっちがどっちのものまねだってんだ、なあおい」
ヒトダマたちに語りかける。
「いったんあきらめたような、なけなしの勇気を親切にもムリくり絞りださせてやるという、こっの粋なはからい。ただの『正体見たりパパとママ』ごときにゃあ、できねーだろうになあ」
手の上でふわふわ踊る残りのヒトダマたちも、ニコの自画自賛に同意するかのように輝きを増す。
「心から喜んでくれるようなプレゼントなんざ、ほんとうにありがた迷惑なおせっかいのまえじゃなんにもならんのさあ、ふっはは」
人間だったころ聖ニコラスだったたいりくびとは、うそぶいた。
ニコはひとりひとりの名前なんか呼ばない。それはいちいちかまっていられないからではない。相手が世界のどこに位置しているかを重視するため。
メリー・クリスマス?
知ったことではない。
「とまあ、来年もよろしくな、少年少女ら。老若男女ども。森羅万象たちよ」
ニコはヒトダマたちの力で、ふたたび天へと駆けあがる。
これからも、ただひとことを言うために、未来永劫迷惑を配って歩く。
すべてのひとの、ひとしくいとしきいとなみよ、ひとしなみに。
来年も、よろしく。
年齢:9■
得意科目:図工■
好きな映画:CUBE(ヴィンチェンゾ・ナタリ)■
■061227
桐嶋小賢(■
・ちょっと小学生には見えないですね■
・こんな9歳がいるか、このポルノ野郎(←?)■
・赤いランドセル背負わせれば一発で識別できるぜ。体操服でもランドセル! スクール水着にランドセル!■
などなどのあたたかいコメントに支えられ■
もういちどラクガキしてみようかなと思いました(決意の朝に)■
というわけで起きぬけに失礼します。9歳に見えないともっぱらの評判ですが?■
「くあぁ〜……知んないよそんなの……小学生らしくすればいいのか?■
わかった。きょうからマリオの残り人数を1機2機って数える。これで満足か?」■
いつの小学生だそれ■