INDEX MAP DOX





 そもそもこの世界が存在することが、もっとも驚嘆すべき『魔法ウィザードリィ』。

「悠久を生きるなんてことに価値が認められるのは、年老いてからの話なんかなあ」
 グロースターはそう言って、『不死者』の残骸からずるりとカシナートを引き抜いた。敵が敵だけに、顔にこびりついているのは返り血でないことが明白だ。
 それは鮮烈な真紅だった。松明と光苔がかろうじて視覚を確保してくれるような、地下深いこの暗闇のなかで、血だけがこうも赤々と焼きつくのはなぜだろう、とぼくは思っていた。それにくらべたら、グロースターが呈した疑問など、ぼくにはあまりにどうでもいいことだ。
「どうもぴんとこなくてね。いったいこんなに長生きしてどうなるってんだろね?」
 ……こんなに。
 死霊と化し、半ば実体と自我を喪い、かすかに残った遺物やらにすがって、かろうじてこの世に留まっていられるような、そんなかたちでの不死でも、果たして死ぬよりマシといえるのか。
 そんな埒もないことに、グロースターは首をかしげている。
 わかりっこあるものか。
 不死を求める気持ちがなんなのかなんて、わかりはしない。ただ想像がつくだけだ。
 長生きしてなにかをなしとげたい、なんて積極的な理由ではないのだろう。老いさらばえて、死を身近に感じるようになり、怖くて遠ざけたくなった。それだけで理由としてはじゅうぶんなのではないか。
 結果として、さきほど屠った亡霊のように、存在がおぼろになったとしても。
 おぼろに。床石を神経質に検分している、あの奇怪な男が、まさに自称している名のとおりに。
「どうしたの、『朧面オボロフェイス』」
 気がつくと、ぼくは声をかけていた。
「なにか心配ごとがあるみたいだね」
「あ・あ。こ、こ。は、けい・こく・に・ある、とお、り、た、だ、あるい、て、いては、い、け、な、い」
『魔法使い』が、かろうじてそれだけを語る。たしかに、ここには見えない順路がある。
 それにしても──ぼくはすこし、胸にちくりと痛みを感じる。街慣れた混血エルフならともかく影の中でしか生存できない邪妖精の声帯は、人語を繰るに適さない。かれの眼と耳と直観に頼りながらも、その声や挙措に嫌悪を感じるじぶんを恥じる。嫌悪を愉しんでいるじぶんを。
「さっきの幽霊──」
 と、それまで無銘の刀身を静かにながめていた斬りこみの少女、『うたかた』が、ひとりごちるようにつぶやいた。
「命を吸われた感じがする。だるさが消えない」
「おいおい、だいじな戦力が、困るぜ、なあザイロフォン?」
 グロースターが肩をすくめ、隣で薬液を一気飲みしていた大女を肘で小突く。大女は小瓶から口を離しもせずに首肯した。
「なるほど」
 さっきの戦いで、ぼくの祈りは天に届かなかった。朧面の妖しの術も。やはり、この空間にはなにやら特殊な結界が用意されているみたいだった。
 してみると……
「ここを早く離れないと。いま後続が襲ってきたら──」
「だとさ! さっさと用事をすませてくれ!」
 ぼくをさえぎって、グロースターは宝箱のまえにかがみこんでいる小さな影へ呼びかけた。
「っせえな、ジャマすんなよ!
 ……けっ、こういうふうに焦って開けようものならドカーンってわけか」
 メリマック──『土竜』の異名をとる矮身の若者が、脂汗を額にしたたらせながらも強がってみせる。
「やめねえぞ……おたからあきらめて、こんな陰気な墓場で命を懸けてられますかって……」
 そのとおりだろう。だから、かれのような戦う力もない地霊交じりノームのちびが、常識の届かないこの世界に降りてきているのだ。
 地下迷宮。
 それも、過去にだれが足を踏み入れたこともない、新たな。
「いいから開けろよモグラ」
「あたしらたいがいしびれがきてんのよ」
 薬を飲みおえた大女のザイロフォンまでが、グロースターに加わって急かしはじめた。
「あっけーろ!」
「あっけーろ!」
「お宝とりあげろ!」
 肩を組んで、子どものように囃したてはじめた。血に酔っているせいか、戦士ふたりはなんだか楽しそうだ。
「ち、くしょ……」
 土竜はといえば、傍目にもあきらかなほど焦っている。
 どうも悪い予感が胸をしめつける。ぼくは深呼吸した。迷宮の空気は湿った異臭に満ちていて、不快ではあったが。
「……世界の危機と地下迷宮は、つねにともにある」
 ぼくは気持ちを鎮めるため、神殿でくりかえされた教義をゆっくり暗謡した。
「なぜなら迷宮はわれらの母なるこの星、この大地の深奥なる生命の源なれば」
 そう、祈りが通じないときこそ、信仰が試される。
 なにより、この不吉さを忘れるために。
「地の底に眠れるものは、常に畏怖すべき──」
 つぎの瞬間感じたのは、爆音のような、しかし甲高い周波の轟音だった。
 無遠慮な、灼熱にも似た警笛がぼくの耳を焦がし、祈りすべてをかき消して、

 迷宮じゅうの邪悪が集まったのではないか、というほどの怪物たちがぼくらへ怒濤と襲いかかってくる。

「あ、アラー……ムだったなんてな……ざ、ざまあ……ねえぜ……」
 メリマックは血の泡を吹きながら、やっとの思いでそう言った。
 ノームの体躯としてもなお軽すぎる、肉体の半分を喪失していなければありえない重量しか残っていない身体で、やっと。
「もう、いい……もう、しゃべらないでいい」
 剣のような爪をした巨獣の群れに引き裂かれ、まやかしを操るローブの集団によって肉体を焼かれる苦痛を味わい──
 生命力の喪失を訴えていたうたかたは死に、
 もともと身体の強くない朧面が死に、
 体力を消耗していたグロースターも死んだ。
 盾となるべきメンバーを突き崩され、それでもわずかな突破口を見いだして命からがら脱出したぼくたちは、気がつけば、半分の生存者しか残っていなかった。
 その半分のうちひとりも、いまここで死ぬ。
 酷なようだが、この傷を癒すための祈りは、ぼくともうひとり生き残った戦闘可能な仲間にとっておかねばならない。
 感傷に流されて全員が死ねば、もとも子もない。
 まだ息がとだえていないメリマックが、断じて目を閉じようとしないのが、つらい。
 手をそえて、まぶたを閉じてやりたい。
 いや、閉じてしまいたい。
 だがメリマックの目は、信じられないものを見ているように、ぼくから動かない。
 なんでそんな目をする。なぜそんなふうに仲間を見る?
「……シグナシスカ。気づいてる?」
 ザイロフォンが、とても言いにくそうに、ぼくに告げる。
 断じる。
「あんた笑ってんだよ」
 ぼくは愕然として、口許をおさえた。
 聖職者として無力感にさいなまれての自嘲か、それとも心の底から足手まといを切り捨てる判断に喜びを感じていたのか、そんなことはじぶんでもわからない。
 わかるのは、仲間を喪おうというときに笑っていたということだけ。
「う……」
 嘔吐感にみまわれながらも、それをこらえることで冷静さがよみがえってきた。
 ──そうだ、ぼくはそういう人間だというだけの、こと。
 席をおなじくすることも疎ましかった同門たちがいた。いま思えば、かれらの瞳はまっすぐすぎた。まぶしすぎたのだ。
 かれらであれば、この局面なら惜しげなくメリマックを癒したろう。そして最期の瞬間まで、はげましつづけたはずだ。
 そのために全員が生きて帰れなくなったとしても、実行するに決まっている。
 息絶えたメリマックを、意を決して抱えあげる。
「そうだ、優劣を考えてもはじまらないことだ」
 首を振って、ぼくはザイロフォンとともに、仲間の屍をかつぎながら、もと来た道を帰り進む。フルメンバーのときはただの通路のように感じていた、見知ったルートでさえ、まるで未知の空間のごとく恐怖に支配されている。
 ゆえに、迷宮なのだ。
 蝙蝠の群れや小妖精のささやかな襲撃ですら、いまのふたりには絶望的な脅威。
「なにを考えこんでんだよ、行くぞ、坊主っ!!」
 彼女の身長でもなお巨大に見えるグレートソードをかざし、ときの声も高らかに、ザイロフォンが駆けていく。
 ぼくは追うのがせいいっぱいで、もうじぶんがどれくらい疲労の限界を超えているかすら把握できない。
 追撃をふりきるため、温存していた『かまいたち』の祈りを使い果たし、縄梯子を死にものぐるいでよじ登り、とうとう地上への出口まであとわずかというところまでやってきた。
 このエリアには、せいぜい原生生物やごろつき程度の相手しか棲みついていないが、いま襲われたら勝てるかどうかわからない。ふたりはもうまともに戦える力などほとんど残っていない。
 だが、それでも、あとすこしで帰れるという事実が、ぼくらの危機感を曇らせた。
 背後からかかってきた追いはぎのマチェーテは、まずザイロフォンの頭を叩き割った。声をあげることすらなく、彼女はどさりと倒れた。ぼくにも痛みすらくれなかった。意識ごと、この頭部は収穫された。

 まっすぐすぎた瞳の、神官見習いたち。
 かれらには、ぼくの目はどう映っていたのだろう?
 ぼくの目は、どのくらいよどんで、濁っていたのか?
 それとも……

 つぎに目を醒ましたとき、視界にはなじみぶかいハイカットの神殿の白すぎる天井と壁があった。
 ぼくらの死体を回収し、都市に連れ帰ってくれ、蘇生費用を寄付してくれたのは、スキンヘッドの女ドワーフだったらしい。直接会う気はないそうだ。
 ぼくの心には屈辱も感謝もなかった。あったのはただひとつ、疑問だけ。
 とうとう蘇生可能な状態で回収できなかった、土竜のメリマック。
 思い知った。
 ぼくらが死を恐れるのは、そこで終わってしまうからだ。
 もう永久に知ることはできない。かれはぼくに笑われて無念だったのだろうか? ぼくの魂の底にあったどす黒いものを直視して、絶望したろうか?
 それとも──
「蘇生資金のためになんどかいっしょに組んだ。そのとき、あのドワーフ、言ってた」
 うたかたが、またもひとりごと然とつぶやく。
「信じて祈り、癒すことは、たとい無制限の意志あったとしても、無尽蔵の実行とはなりえない。両手の届くものにはかぎりがある。だからその対象に優先順位を設けるのは、恥ずべきことではない。ただ、矛盾しているだけ。慈愛に理性をあてがう矛盾。それはすこしずつ蓄積するねじれとなり、やがて心を引き裂くでしょう、と」
 見透かしたことを言う。
 面識もないそのドワーフが一発できらいになれた。
「……きみは、彼女のところに行かないのかい……?」
「どっちでもいい」
 みもふたもない。
「むしろ、シグナシスカ、あなたが選ぶべき。命を吸われて、剣士として弱すぎるほど打たれ弱い身体になったこのうたかたが、使いものになるのかどうか」
 その目は表情を持たず、まるで水鏡のようにぼくを映し、
 かすかにそのぼくの姿は、水面に揺れたかに見えた。
 うつむき、ためらって、ぼくは答える。
「……選ぶ余地なんかない。グロースターとザイロフォンの蘇生がまだだ。寄付金を集める必要がある。どうか、手伝ってもらえないだろうか」
 うたかたは答えないが、刀の鞘を持ち、ぼくへ向けて真一文字にかざしてみせた。朧面は、部屋の片隅でかすかにうなずいた。
「も・ぐら・のかわ、り、も、さが・さ・ねば」
 神殿の光をかろうじてフードでさえぎり、死にそうにぐったりしながら、もごもごと、やっとの思いで。
「いそ・がし・く、なる・ぞ……」

 不死を求めることは、生を望むゆえではなく、死を厭うからにすぎない。
 だが、死は恐ろしい。知ることも、推し量ることすら拒絶する、死という絶対はほんとうに恐ろしい。
 可能であるなら、抵抗しなくては。
 戦わなくては──

 わかってる。
 ぼくは、また笑ってる。

 

ウィザードリィ外伝

 不死者の秘宝





 肩が重たい。思わずため息がこぼれるほどに。
 命のやりとりをしていれば遅かれ早かれどこかで必ずぶちあたる問題のひとつに、他人の死を背負い、他人の死をひきうけてしまうというのがある。
 そんなやっかいなもの、ぜったいに必要ないのだが。
 志半ばにして斃れた旅人の、みずからの刀の錆となりはてた賊の、そもそも出逢った時点で死んでいた亡霊たちの、すべてをひきうけるようになってしまう。
 強ければ強いほど、そうだ。
(──だから、なのだろうか?)
 無銘をゆっくりと上下させて、敵との間合いを測りながら、剣士の少女は静かに息を吸いこんだ。
 ひゅおっ。
 だが亡霊は、迷いで曇った剣では両断できない。するりと刀身にまとわりつき、手を伝い、首すじに触れてきた。
「……っ」
 抵抗することはできない。
 生命力をすすられる音が、魂から聴こえる。
 力がごそりと奪われる。誇りが根こそぎ刈り取られる。こころがもとより消え果てる。
 あぶくのよう、
 うたかたの、ごとく、

「うたかた!!」

 彼女にとりついていた亡霊が霧消した。司教に任ぜられたばかりでありながら、シグナシスカの『祈り』は強力だった。
「……また吸われた」
 うたかたと名乗っている彼女は、蚊にくわれたぐらいの気持ちでそう言った。
「これで4度めか。よっぽど好かれてるようだな」
 シグナシスカ司教は口調とは裏腹、深刻そうに眉根を寄せて言った。
「あまりやられすぎると、帰ってこられなくなるぞ」
「それもいいと思う」
 うたかたは本心から言った。
「わたしは死の世界と縁が深いらしい。だから、それでもかまわないでしょう」
 そういうつもりでもなければ、こんな迷宮などに足を踏み入れたりしないだろう。
 司教は、ふう、と嘆息すると、リーダー格の戦士に水を向けた。
「どうしよう? この状態でこれ以上進むのはちょっとよくないんじゃないのか」
 戦士グロースター卿はちょうど、開かれたチェストに腰かけて一服中であった。
「ああ。ともかくきょうは引き揚げようや。朧面オボロフェイス、転移を頼む」
「わ、かっ、た」

 ファルシアの王城に掲げられた数々の布令書きのなかで、ひときわ異彩を放つふたつの告示がある。
 いわく、古代に栄えた大帝国の秘められし財宝がある。いまだ護りつづける番人をかいくぐり持ち帰ったものには、栄達と報酬を約束する。
 いわく、数々の罠やしかけによって地の底に隠されている不老不死の秘薬を求めよ。もしそれを携え生還したなら、国は目も眩むような恩賞をもって応えよう。
 むろん、これは盗掘などというなまやさしい任務ではない。
 死んでこいと言っているのだ。
 そのぐらい、籤を引くよりはかない希望だ。だが、それにすがるしかないものたちがいる。
 主君を喪った騎士。無邪気に神を信じられなくなった聖職者。食いつめた傭兵。魔女狩りから逃げてきた不可思議をなすもの。まともな職を与えられない、妖精や地霊の『交じりハイブリッド』。夜盗や海賊のなれの果て。孤児。見知らぬ国からの流れもの。
 まっとうに生きることを許されないかれらは、生命を懸けるに値する空間を与えられてしまったのだ。
 不幸にも。

 やめちゃおうかな、と愛用の蕎麦管で果実酒をすすりながらうたかたは思った。
 止まり木の向こう側に立つバーテンダーは、カクテルをつくりながら鋭くそれを見とがめ、言った。
「なにを思いつめてらっしゃるので?」
「うん……死ぬのって怖いなって思って」
「迷宮に挑まれるようなかたが、そこに気づくとは」
 バーテンダーは苦笑した。
「わたくしに言わせれば、ひとなんて生きてるだけで丸儲けですよ。命を火のなかに投げこんで、いかにぱっと燃えあがるかを競うような命の使いかたはいけません」
 探索者が集合に使っているのを知りながら、バーテンダーは言ってのける。
「それでは文字通りやけっぱちです。人生はもっと静かにゆるやかに、滋味深く熟成させるように燃焼させていきたいものですな」
 静かに酔客の愚痴を聞き流しているべきバーテンダーが、饒舌に語りながらグラスを磨いていたが、もちろんまともに受けとめるやつなどいない。
 うたかた以外は。
「……うん」
 やめちゃおう。あしたグロースターに相談しよう。

 そう思ったとき、ちょうどストローからずごごごごっと音がした。果実酒がなくなったのだ。
 勘定をカウンターに転がしながら席を立とうとしたうたかたは、予期せぬ重量にひっぱられてがくりとのけぞった。
「?」
 バーテンダーが不審そうにこちらを見る。
 彼女自身もふりむく。そして、見る。
 短衣のすそをつかみ、半ばぶらさがるようにしがみついていたのは、ひとりの小さな女の子。

「──おねがい」

 これが。

「おねえちゃん、ぱぱを、たすけて」

 うたかたを名乗る少女剣士の、木の葉のように軽い運命を揺るがし、天国を叩扉する、ささやかな一大事件のはじまりであった。



 かつてこの地に、世界すら支配しつくすほどの帝国が存在したとだれが信じよう。
 いつの世にも革命は起こる。長きにわたる戦いのすえに、帝国は滅び去った。だが、残ったものはある。喪われたものも。その最たるは、世界じゅうの富をかき集めた宝物殿……いや、宝物坑である。
 何人もの盗掘者が幾度も挑んだその迷路は、たしかに生還者も決して皆無ではなかった。かれらは口々にこう言った。

 あの穴は果てしない。
 とてもじゃないが、すべてを盗みきれるもんじゃない。
 やつらの命は無限だ。こっちは1000人いたって足りないぜ。


 挑戦者はいつしか絶え果て、坑道は歴史の闇へとうずもれた。
 やつら、が意味する存在もろとも。
 つい先日、その入り口がふたたび口を開けるまでは。

 もちろん、うたかたは見境のない博愛主義者ではない。敵とみなせば斬り刻む。
 ごろつきたちはものの数ではないものの、やはりわずらわしい相手だ。
 複数の敵を相手どるのは、それだけで苦痛となる。
「……また、ここにやってくることになるなんて……しかも、ひとりで」
 うたかたは裾にしがみついたままの女の子を見やり、疲れ以外の理由で吐息する。
「ひとりじゃないよ、おねーちゃん」
「気安いなあ……そうだね、ひとり以下かな」
 刀『無銘』をぬぐいながら、剣士はちがうことを考えている。
 帝国は、富を護るためにこれを用意したという。しかし、それは疑わしい。
 たったそれだけのために、これほどの施設をこしらえ、あれほどの怪物を用意するのはぜったいに理屈に合わない。間尺にかなわない。
 左手をついっと空中にかざし、うたかたは精神を集中する。
 無意識によって制御された指が、空間に光をインクとした地図を描く。
「……ほわあ」
 女の子はその意味するところより、『魔法』そのものに惹かれたようだ。
「すごい……きれえ……」
「そんなことより──」
 もちろんうたかたは、いちど突破したから抜け道を知っている。
 知りたいのは、もっとちがうことだ。
「あなたのパパの居場所は、どこのあたりなの?」
 いまだ未踏の白色で染められている、中心エリアがあやしいとうたかたは踏んでいる。
「わかんないけど、いるよ。ずっとさまよってるよ」
 そうだ。わかっている。
 盗賊は殺せば立ちあがらない。毛玉どもは実害のほとんどない、ただの障害物。だがあの帝国兵シンセティックたちは、不死身だ。不死身で、ただし無敵ではない。
 決して死なず、ただひたすら、宝を感知し追ってくる存在。
 どんな方法で殺戮してもぜったいに死ぬことはない。朧面がたどたどしく語っていた情報を信じるなら、仮に喪われた強制転移マピロマハマディロマトで石のなかへ叩きこんだとしても、時間をかけてべつの空間に再構成される。
「ぱぱは、そんなじぶんでいるのがいやだった」
 この坑道がまだ構築されはじめたころ、ぶあつい岩盤を掘削していた兵のひとりが……いや、その兵の人間のままだった部分が『ぱぱ』の正体だそう。試作に試作を重ねていたころの未熟な精神操作が部分的に解除されてしまったとき、かれは永久に不死のまま目的を果たす兵隊より、太陽のもと、有限の肉体ですごすことを望んだのだという。
 不幸にも。
 それこそ死にもの狂いで、あらゆる妨害をくぐり、火の海と屍の山を築いて、とうとう地上へと脱出を果たした。
 うたかたには、そこがわからない。
「じゃあ、もうここにはいないんでしょ。あなたが生まれたのなら、無事に『死すべきさだめの肉体』をとりもどしたんでしょ」
「もどれた……なれた。ぱぱは、そのとき、にんげんだった。でも、あっというま」
 つかの間の平和だった、ということだろうか?
 うたかたには理解できない。したくもない。
 命を迷宮の闇に飲み干されるような生きかたは、もう選びたくない。
 坑道を彷徨っているという、この娘の父親──いったい、どこにいるのだろう?
 あまり考えたくない仮説もあるにはある。だがそれはこのさい無視して考えよう。
 財宝の安置されていた場には、すでになにも残されていなかった。あたりまえだ。宝はすでに、うたかたと仲間が奪った。掠奪した。
 だが、財宝がないということは、守護者も動かないことを意味する。

(『おたがい、協力しあっていこうぜ』)

 彼女たちが目的を達成したにもかかわらず、しょうこりもなく新たなカモを待ち立っていた盗掘者、ジェームズのことばが脳裏をよぎる。
 そうだ、どこかに宝が残っていると信じるかぎり、得られなければなんどでも挑むのだ。
 それが探索者なのだから。

 守護者が動かない以上、この子の父親に会う術もないのではないのだろうか、とうたかたは疑いはじめた。
 もちろん、はじめに想像したとおりの事態であれば別だが。
 うたかたはもはや、最悪の事態を期待しはじめていた。
 もし『その人物』に逢えたのなら、訊きたいことは山ほどある。
「……ねえ」
 うたかたは女の子の頭に手をのせて、
 それが完全に不意を突かれる理由となった。
 いかに強くなり、鋭敏な感覚をそなえたといっても、彼女はただの人間であり、背後から襲いかかるその番兵に対してとっさに対応することはできない。
 全身を特殊な鎧で固めた守護者──不死の番人は、無機質で確実な動作をとって、ふたりの異物を手づかみにしようとした。
 圧倒的な膂力で、なすすべもなく宝を奪い返していった、不死身の兵士の腕。
 ころされる、と反射的にうたかたは感じたが、ふしぎと恐怖はなかった。

「……う……」

 番兵の兜の奥にあるぼんやりした光──『瞳』が、足許へと向けられる。
 床がごっそりと消えてなくなっている。
 番兵はがくりと半身を石床のなかに落としこみ、そして床はゆっくりと姿を戻す。
「短時間転移!?」
 うたかたが乏しい魔法の知識を総動員して、その異常事態を判断する。
 半身を岩へとうずめ、力を保てなくなった番人の腕がゆるんだ。うたかたと女の子は解放される。
 うたかたは女の子へとっさに駆け寄ったが、彼女はそれらすべてのできごとをまるでなかったことであると言うかのように呆然としていた。
 放心した視線を追いかける。彼女が視ていたものを、うたかたも視る。

「おや、おや。こいつはまた」

 そう口にしたのは、鉄でできた奇妙な杖を手にした男。
 不死を捨て、いちどは人間としてひとびとのなかを暮らした、伝説の存在。
 うたかたの想像は、いやになるほど図に当たってしまった。

 かつてたったひとりでこの穴に挑み、おびただしい金銀財宝を奪ってのけ、帝国を震撼させた盗掘者──『坑道を馳せるもの』。
 その、はじまりのひとりが立っていた。



 魔法の基本は、幻だ。だまし、くらまし、だまくらかす。
 生命体だけではなく、ときにはただの物体すらも。
 男──『ランナー』が手にしていた光のワンドは、かつてこの迷宮が『遺跡』と呼ばれる以前に使用された。
 この迷宮を構成する建材にだけ作用する、特殊な魔法がある。いや、特殊な魔法に反応するよう工夫された建材でこの迷宮が構成されている、というべきか。短い効果時間のあいだのみ分解転移されることにより、奥の空間への道が開く。そこへ重要な宝を安置、転移された建材はすぐに復活する。
 この技術により、地下空間の限りあるリソースは最大限活かされ、完璧な防犯の壁ともなる。なにせ扉も鍵も存在しないのだから。
 ランナーはその技術を盗み、小型化し、迷宮をひとりで渡り歩くためのマスター・キーとして完成させた。もっともかれにとっては、かつてここで用いていた能力が、人間にもどったことにより喪われたための代替手段にすぎないが。

「──ぱぱ」
「こんなところにまで、迷い出てきたか」
 ランナーはかぶりをふった。
 やっぱりそうか、とうたかたは思う。
 もちろん、あたりまえだ。この娘は、とっくに死んでいる。
 じぶんは亡霊をひきよせる。肩の重みは、つのっていく。
 やはりこの仕事で終わりにしよう。任務は、終わった。うたかたは呆然としている女の子の指を、しがみついていた裾から1本1本ていねいにほどいていき、あとはきびすを返して地上に戻るだけだった。
「あなたは──」
 だけの、はずだった。
「あなたは、どうしてずっとこんなところを彷徨ってるの?」
 訊きたいことは山ほどあった。が、じっさいにこんな質問を投げかける意味など、ひとつもなかった。

「ほかの生きかたがないからだ」

 回答は、決まっていたのに。
「人間の死は、生きかたが決まったときに始まり、肉体が滅びたときに終わる」
 かつて娘だった迷子の魂をかたわらに、ランナーは皮肉そうにつぶやく。
「おれは、おれたちは、始まりっぱなしなんだよ、お嬢さん。それは永久に生きかたが決められない、拷問も同然の時間だ」
 死なない存在を待ちうける未来。永遠にやってこない、ほんとうの未来。
 死なない存在を──とらえて離さない、『生きかた』という名の呪縛。怪物。
 うたかたはなにかを言おうとして呑みこみ、親子のほうへ一歩踏みこむと、その瞬間、
 おそろしい腕力で足をつかまれた。
「……っ!」
 半身を石に固められ、動けなくなっていたはずの守護者が、さいごのチャンスをうかがっていたらしい。
 そのまま力をふりしぼり這い出そうとした守護者の、周囲の床が砕けて壊れた。大きな亀裂が予想を超えて縦横に走っていった。
 時間経過による異常か、こんな無茶に耐えられる構造ではなかったのか、それはわからないが──
「なっ!?」
「ぱぱ、おねえちゃんが……!」
 飛びのこうとして一瞬ためらったランナーも、その娘も、うたかたと守護者もろとも。
 その場にいたよっつの存在は、崩落した床ごと闇に呑みこまれていった。

「そりゃ、遺跡があれだけのはずはないだろ? まだまだ未知のお宝は眠ってる。こんな裏技で下へ降りられるとは夢にも思わなかったがな」
 崩れた床と、いっしょに落ちた守護者はすでにいずこかへ消えていた。おそらく上層に分解転移され、もとの石床に戻っているのだろう。
 最近発見されたばかりの遺跡だ。まだまだ文字通り底が知れないとはささやかれていたが、こんなイレギュラーで存在を知ることになるとは、とうたかたはほぞを噛む。
 そもそも、四方どころか上下も完全に閉ざされている。
 床や壁はただの石材のようで、ランナーのワンドもさっき崩れた天井以外には効果を発揮しない。といって、分解されている短時間に登れるような高さではないし、登るための手がかりもない。
 つまり、帰還の手段はゼロ。
 無銘の柄で壁を叩いて反響音をたしかめながら、うたかたはふとばかばかしくなって、がらんと愛刀を床に転がした。
「……やりたいことが残っていたわけじゃない……」
 うたかたは言った。ランナーの言っていたとおりだ。じぶんには死にかたがあるだけ、マシだったのだろう。
「おれも、そうさ」
 床に坐っていたランナーは、ひざの上で眠っている娘のきれいな黒い髪をもてあそびながら、つぶやいた。
「おれは、捨てたくて上がっただけだったんだ。太陽を浴びれば、なにかが変わると本気で信じてたわけじゃない。ただ、捨ててみたかっただけだ。それまでのすべてを。ちょっとそれだけにしてはいろいろなやつに迷惑をかけすぎちまったがな」
 ランナーは、光るワンドについていた小さなスイッチを切り替えると、娘の亡霊へゆっくりと向けた。
「娘には、かつておれのすべてを預けていた。不死の肉体も、なにもかもを肩代わりしてもらってた。ほとんどを返してもらったいまも、魂にかつての力を預けたままだった。そのまま離れ離れだ。連れてきてくれて、感謝する」
 うたかたには、この男がなにを言っているのかわからない。
「ごめんな、長いこと」
 ワンドに力を流しこむと、暗闇の遺跡をしばし、光が照らした。
「ぱ……ぱ……」
 娘は、満ち足りたひまわりのような笑顔で、そのまま光の球へと姿を変えた。
 球はするりとランナーの胸へとすべりこみ、ランナーはワンドを取り落とす。
「さがってろ」
 ランナー……いや、すでに本来の姿に戻った守護者は、胸からふたたび球をひきずり出す。光は完全に消え果て、黒々と光る重い金属球となって。
 球から、短い光の線がしっぽのように伸びている。先端を火花のような光がきらめいて、すこしずつ線を喰らいながら金属球の本体へ向かっていく。
「導火線だ。早く壁の陰へ隠れろ。崩れた天井の残骸がもとに戻らないうちに、這いあがれればおまえの勝ちだ」
 守護者がなにを言っているのか、うたかたには理解できない。だが、ひとつだけはっきりしていることがある。
 だから、問うた。
「なぜ、死ぬの」
 守護者は満足そうに、すでに表情を喪失した能面の笑顔で、うたかたへ笑いかけた。
 笑っているに決まっていた。
「それが不死者に与えられた、たったひとつの自由だからさ」
 うたかたは弾かれたように走り、
 身を隠したすぐそばに、轟音と閃光。灼熱の火柱が駆けぬけた。
 頬をちりちりと焦がす感触が、すべてを理解させた。
 熱気が、涙を一瞬で乾かせていった。

 バーテンダーはなにがあったのか訊いてこなかったし、もう説教もせず静かにグラスを磨いていた。迷っている相手のためだけの特別サービスだったようだ。
 うたかたは静かにコインを置くと、愛用のストローを胸許からとりだす。
 注文しないうちに、横から果実酒が差し出された。ソーダのあぶくが涼やかに踊っている。
「おかえり」
 ハイカットの不良神官、シグナシスカが、背中に細長い包みを背負って立っている。
「……ただいま」
「戦利品を鑑定したら、すこし上等なカタナだった。こいつを使いこなせるのはきみだけだろう」
「そう」
「どうする?」
「どうするもこうするも」
 是非もない話だ。無銘を拾っているヒマはなかった。光のワンドや知られざる遺跡深層とともに、永遠に闇の中だろう。
 そしてあの男は、いつかまた地の底から這いだそうとするのだろうか。
 太陽の光を浴びるためだけに。
 死すべからざるさだめだからこそ、死を目指す自由を謳歌するために。
 永遠にそれを続けるのだろう、か。

 すこし気が遠くなって、うたかたはカウンターに頬をつけるように上半身を横たえた。ぼんやりと目の前にしていたグラスのなかで、泡沫がぱちぱちと爆ぜては新たに生まれ、飽きずにそれをくりかえしていた。